知多半島の気になるお土産やお取り寄せ商品を紹介していく連載シリーズ“ちたみやげ”。
知多半島出身・東京在住の筆者が、買って楽しい、もらって嬉しい商品をスタンダードなものから少しニッチなものまで、日々発掘していく。
地元にお住まいの方も知多半島に観光・旅行予定の方も、知多半島出身の方もぜひ参考にしてほしい。
今回は番外編「えびせん家族」。
知多半島から三河湾を挟んだ対岸・碧南市の逸品。
まだ食べたことがない方はぜひ食べてみて。
まだ見ぬえびせんを探す日々
本シリーズを始めてからというもの、知多半島帰省時はもとより、普段のスーパーでの買い物でも、とにかく「えびせんべい」が目について仕方がない。
「えびせんべい」が昔から特別好きだったわけではないが、大人になり、改めて再会した「えびせんべい」という食べ物はは、自分の口にとても馴染むものだった。
それ以来、まだ見ぬえびせんべいを求めて伊勢湾、三河湾、ネットの海をさまよっているのだ。
調べたところによると、全国の「えびせんべい」のうちのほとんどを愛知県で生産しているそうだ。
さらにそのうちのほとんどは知多半島と西尾市一色町で生産されているとのこと。
確かに「えびせんべい」で有名どころといえば「ゆかり」でお馴染みの東海市・坂角総本舗をはじめとして美浜町・白藤製菓や西尾市一色町で創業し現在では大阪府東住吉区に本社を構える三河屋製菓など、あげればキリがない。
とにかく伊勢湾や三河湾では海老がよく採れたとことがえびせんべいの発祥につながっているとのことだが、発祥についての説は大きく2つに分かれるそうだ。
えびせんべいの歴史はいつ・どうやってはじまった?
インターネットの海をサーフィンしていると、「えびせん」の起源については大きく分けてふたつの潮流にぶつかる。
それは、西尾市を中心に伝わるとされる「かまぼこ文吉」が原型を完成させ、「ひげ貞」がそれを広めたとする三河地域に広がる説と、「えびはんぺい」と呼ばれる原型がすでに江戸時代から徳川家に献上されており、それがえびせんべいの完成につながっているとする知多半島を中心に尾張地域に広がる説だ。
尾張説は厳密にいえば、各老舗メーカーの歴史に付随するものであるので、各老舗メーカーによって少しずつ事情も異なる。対して三河説はどの老舗メーカーもその起源については、おおよそが「かまぼこ文吉→ひげ貞」説に統一されている。
調べてみたところでは、「えびせん」の起源には定説はないが、おそらくその諸説どれもが正しいのだろう。おそらく「えびせん」は同時期に、多発的に伝播していったのではないか。と、いう想像もまた楽しい。どなたか「えびせん」の歴史に詳しい人がいれば、ぜひ教えてください。
*「一色地区が先行し,豊浜地区は一色地区ほかからの技術伝播によって産地化された」という文章を発見。
『地理学報告 第109号』2009「愛知県におけるえびせんべい製造地域の連関と産地発展」野村直孝
「えびせん」の起源を老舗Webサイトでチェックしてみよう
インターネットの海に散らばっている、「えびせん」の歴史の諸説をこちらで紹介していこう。
どうやら「えびせんべい」の起源は江戸時代、「えびはんぺい」まで遡るようだ。そんな「えびはんぺい」が現在の「えびせんべい」の形になったのは明治時代に入ってからのことだそう。
「えびせんべい」の量産と販路の拡大には偉大な先人たちの努力があった。
三河屋製菓
今から約120年くらい前の明治20年頃、三河の一色地方は、豊かな三河湾で獲れる魚でとても栄えていたそうです。そして、魚市場の賑わいは活気に満ちあふれていたに違いありません。とろ箱にあふれるくらい山と満たされ、いまにも飛び跳ねて逃げんばかりの活きのいい魚や、貝に海老・・・、その中に、「アカシャ海老」と呼ばれる体長数センチの桜色した小海老が豊富に獲れていたそうです。
しかし、当時は食用としての需要はふるわず、一部は乾燥加工され、「カジエビ」という名で中国に輸出されていたそうです。そして、中国で加工され、高級えびせんべいと言う形になって日本に入ってきていました。当時、そのえびせんべいは、庶民の手には届かないとても高価なものだったそうです。
ちょうどその頃、一色町にある安休寺というお寺の門前で蒲鉾製造を生業としていた、通称「かまぼこ文吉」が、この海老を地元でなんとか加工できないかと工夫し考えたのがえびせんべいの原型とされています。
それからしばらく後、伊勢富田(現在は四日市市)の地から来訪した「ひげ貞」により、画期的な海老の多量処置の技術が発明されたため安価でかつ多量にえびせんべいを生産できるようになりだんだんと三河地方がえびせんべいの一大産地となっていきました。以後、県内外へと販路を拡大。現在、愛知県はえびせんべい生産量全国一となっています。
坂角総本舖
江戸時代
徳川家に献上された海老せんべい。
海老せんべいのルーツは、とれたての海老のすり身をあぶり焼きにした「えびはんぺい」といわれています。1666年(寛文6年)に尾張藩主の徳川光友公が絶賛し、徳川家献上品となったそうです。
明治時代
明治22年、ゆかりのはじまり。
坂角総本舖の始祖・坂 角次郎は「えびはんぺい」をもとに工夫を重ね、炭火で焼き上げる「生せんべい」を完成。当時は生せんべいの生地を火鉢で焼き、しょうゆをつけて食べるスタイルでした。
桂新堂
桂新堂の歴史は、幕末で日本が揺れた1866 年(慶応2年)までさかのぼります。
初代 光田慶助が伊勢湾に面する愛知県知多半島の大野(現在の常滑市)で豊富に獲れるえびに着目し、えびせんべいづくりを始めました。
帰省時に気になるえびせんべい屋さんを発見
現代まで連綿と紡がれてきた「えびせんべい」の歴史。
そんな歴史を知れば知るほどに、「えびせんべい」のことが好きになる。
私が気になるえびせんべい屋さんを発見したのは、そんな「えびせんべい」のことを日々考えていた時のこと。
帰省時、普段は東海インターチェンジからそのまま西知多産業道路に入るのが常だが、その時は他の場所で用事があったため、刈谷から南下し、衣浦大橋方面から知多半島へ入ろうとしていた私。
その最中、高浜市を通りかかったあたりに何やら気になるお店が。
そのお店こそが、スギ製菓株式会社が運営する「えびせん家族」の高浜店だ。
街中に突如現れたスギ製菓「えびせん家族」
街中を走行中、突如目の前に現れたのは可愛らしいお店。
看板には「えびせん」の文字。
筆者は迷わず、店舗に駐車した。
いったいどんなえびせんが待ち受けているのだろうか。
「えびせん家族」に入店すると、店内にはえびせんがずらり。
種々様々な味のえびせんが所狭しと並んでおり、試食も可能。
贈り物にもぴったりな「千歳のえび」やさまざまな味を楽しめる「たべりん」、可愛らしい小袋の彩りセットなど、美味しそうな「えびせんべい」が並ぶ中、店員さんのおすすめの「こわれせん タコせん 醤油味」を購入。筆者、「えびせんべい」も大好きだがイカせんべいやタコせんべいも大好き。
期待に胸を膨らませてお店を後にした。
ガツンとくる海の旨味はビールとの相性が抜群
帰宅して早速開封。
分厚め・大きめののせんべいを一口頬張ると、ガツンとくる海の旨味とじわっと口いっぱいに広がるほのかな醤油とみりんの風味。
これはもう飲み物の選択肢はビール一択。
冷蔵庫からさっそくビールを取り出し、プルタブをひねる。
ビールを喉に流し込めば、優勝は確定。
後を引く唐辛子の辛味が、いい仕事をしているんです。
せんべいと、ビールと、無限のループに陥ってしまいそうな予感。
ワシワシと食べ進め、ゴクゴクとビールを飲み進める。
気づけばボリュームのあるせんべいも、あっという間に袋は空に。
もっと他の種類も買ってくるべきだったと後悔。
しかし、インターネットで「えびせん家族」と検索してみると、ネット通販もやっていたのでホッとひと安心。
「えびせんべい」好きの方は下記のバナーリンクから、スギ製菓「えびせん家族」をチェックしてみてほしい。